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2011年3月

3月29日(火)

東根市の東の山、津河の沢(ツガノサワ)へ。
山の木を伐採して住宅を建築する計画のため森林組合の方々とまだ雪の残る杉山へ。

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山守りの天野さんから
ここ「ヌダバ」だ。と教えてもらう。
イノシシがゴロゴロころがって背中を土にこすりつける場所なんだそうだ。
今年はイノシシが多く出没しているそうで農作物の被害が多くなりそうだと言っていた。
そしてかなり凶暴なので山へ入るときは要注意とのこと。

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これ、イノシシの足跡。

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今日は暖かい天気。雪解けの水が林道を流れている。まるで沢の流れだ。

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右手の杉の木の間に見えるのが「山の神」。この周辺の杉の木は絶対切ってはだめだだと注意される。神様の回りは手をつけるなということだ。

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日陰に入ると雪がまだたっぷり残っている。足が雪を踏み抜けてスボズボッと長靴が雪の中へ。歩きにくい。結構疲れる。

しかし気持ちのいい山歩きだ。雪解けの流れの音が耳に心地良い。ま、天気がいいせいもあるだろうけど。

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夕方から蔵王へ

久しぶりの蔵王。なんだ!この光景は。
ゲレンデは雪が積もったままの状態だ。リフト関係者の足跡がスキーのシュプールのように
1〜2本見えるだけだ。もちろんリフトやゴンドラは動いていない。
この時期は3月末まで賑わっているはずなのに。

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お土産やさんが並ぶ通りにも人影が見えない。

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オフシーズンの時よりも静かだ。まるで死んでいるかのようだ。

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混雑するフロントもひっそりとしている。今日の天気は絶好のスキー、ボード日和だが夕日だけが館内に賑やかに差込んでいる。

蔵王温泉の多くの旅館やホテルが休業状態。完全に休業しているところもあるようだ。
震災後、ピタッと客足が遠のいた、いや止まったのだ。ただでさえもスキー客が減ってきている蔵王にとって深刻な問題だろう。

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モンテの選手と避難者の子供たち

洋子さん代表のフィットネスクラブのインストラクターを派遣してボランティアで避難者の皆さんとエアロビクスをさせていただこうと落合スポーツセンターへ。

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今日はいい天気だ。グラウンドでは大きな歓声をあげて避難者家族の子供たちとモンテディオの選手たちが一緒になってサッカーをしていた。J1の選手と一緒にサッカーができるなんて素晴らしい経験だろうな。清水健太郎の顔も見える。選手も子供たちも明るく元気に楽しんでいた。

市会議員の尾形源二君に同行してもらい市の担当者と打ち合せ。エアロビクスのボランティアの申し出に対しては1〜2日後に返事がくるようだ。

・・・ガソリンスタンドの列がほんとに少なくなった。間もなく解消されるな。

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緩和ケア行病棟を見学

3月28日(月)

県立中央病院の緩和ケア病棟を見学。
素晴らしく広い個室、自由に使えるキッチン、静かな環境、24時間出入りができる玄関。こんな施設があることにびっくりした。しかし、母はまだ痛み等の症状は訴えていない。この病棟に入れるのはもう少し後になるかな?

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ガソリン回復のきざしが・・・

3月28日(月)

朝、事務所に行く途中のスタンドに並んでいる車の台数が随分少ない。他のスタンドもだ。
友人からはハイオクを満タンにできた、しかも並んだ時間は数十分だたと朝、電話が入った。
一昨日まで長蛇の列だった。昨日は休業のスタンドが多かった。

そして今日、あまり並んでいない。これは燃料不足解消のきざしなのか。

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いつまで続くんだろうガソリン待ちの行列

3月25日(土)

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いつまで続くんだろうこのガソリン待ちの行列。午前9時半の遠藤商事コスモスタンド宮町店前。
一昨日、ここで満タンにできたのは正午過ぎだった。

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避難所へ、連絡会議での源二君

夕方、落合の避難所へ。

前回に引き続く避難家族支援ボランティア連絡会議が行われた。
山形市社会福祉協議会の事務局長から詳しい状況と今後の支援内容について説明を受けた。避難者に対する支援は山形市社会福祉協議会を軸として行うべきだと認識した。この連絡会議は町内会が主体となり山形市社会福祉協議会からの要請を待ち対応できる体制をとることになった。
尾形源二君(山形市議会議員)も出席していた。彼の発言はさすが9期目の市議会議員だ。会議のあいまいな行方の軌道を修正するまとめかたに出席者が納得する。いつも畑で会う源二君ではなかった。後輩としてだけではなく彼の議員としての姿勢に対して活動や選挙の応援をしなければならないとあらためて思った。

会議が終わったのは避難者の夕食の時間だった。食事配給所にはトレー代わりの段ボール等に食器をのせて整然と列を作って並んでいた。日本人のマナーはほんとに素晴らしい。団体生活になると特に良いのだ。

原発事故はいつになったら好転していくのだろうか?このままであるはずがない。日本人には世界に誇れる知恵と技術がある。しかし民主党政府にはこの国家の非常時においてもその知恵と技術を駆使させる強い指導者がいないのだ。やはり民主党政権では日本を引っ張っていくことはできないと確信した。

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ガソリン満タン

3月25日(金)

今通りかかったら宮町の遠藤商事のコスモスタンドへ並んでいる車が案外と少なかったよ、と洋子さんが事務所に帰ってきた。
昼食をすませて時間がかかるようだったら帰ろうと思いながらあんまり期待もせず並びに行った。事務所から2〜3分のスタンドだ。お、案外列は短い。これならと最後尾についた。続いて1台後ろについた。そのとたん、スタンドの従業員がガソリン品切れと書いたプラカードを持って小走りにやってきた。私の後ろについた車までOKでその後に更に続き始めた車に終わりを告げていた。運が良い。最後から二番目だ。50分ほどで給油。なんと思いもせず満タン給油だった。
その後会った人が遠藤商事の別のスタンドへ並んだが3時間ほどかかったと言っていた。え、宮町はそんなに早かったの!とびっくりしていた。

しかし、こんなガソリン不足とこの車の列はいつまで続くのだろうか。後数日だよと言い聞かせでもうあれから2週間になる。

はやく気仙沼へ行きたい。が、燃料が不安で行くに行けない。
岡山にも行かなければならないのに手段が見つからない。新幹線がまだ一部不通のままだ。
増便されている山形空港からの航空便は来月上旬まで予約はとれない。
白河、福島、鏡石にも行きたい。

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意味がわからない、大震災応援ランチ


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震災直後から市内の某店の店頭に置かれたこの看板を目にして気になっていた。

=心よりお見舞い申し上げます。大震災応援ランチ500円 大震災応援おにぎり100円=

よく意味がわからない。大震災により予測される食料不足に対する格安提供価格なのか、売り上げの一部または全部を被災地への義援金にするのか。
まさか地震にかこつけたただの販促ではあるまいと信じたいが、言葉が足りないような気がする。日常のこのお店の品格、店格をお客様がどう見ているかが大きく左右する文言だな。

一度食べに行ってみるか・・・・。それからだ。

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洋子さんに手を合わせる母

母の病院へ。夜は薬のせいもあってかなり熟睡しているとの看護師の話しだ。

ベットの上で突然、母が洋子さんに向かって手を合わせて
「ありがとな、ありがとな」と小さな声で言い始めた。

介護認定5の認知の母との会話はメチャクチャなのだが
急にまともなことを話す事があるのでびっくりすることがある。もしかしてほんとは全部分かっているのではないかと疑問に思う事がある。

「なに、言ってるの。当たり前のことじゃないの。ばあちゃん」と洋子さんは返事をする。

「うん、うん」 と母。

母は自分のことを一番親身になって世話をしてくれる人のことを分かっているのだ。

母の洋子さんに対する気持ちがすごく嬉しい。

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謝恩会なしの卒業式

先日23日は山形デザイン専門学校の卒業式が行われた。15日に山形国際ホテルで行う予定だったのだが震災のため23日に延期、ホテルはキャンセルし校内のデッサン室で行われた。もちろん飲食のある謝恩会は中止だ。

23日の夜に千歳館で予定されていた道経塾例会も中止にする。

今年の9月27〜28日の私が運営委員長をつとめる商業界東北地方ゼミナール山形大会の開催も中止して来年の繰り延べとすることにした。会場は山形国際ホテル。私が運営委員長で約350名の参加を目標にしていた。東北がこのような状況の下、開催する訳にはいかない。

ホテル、飲食店にはキャンセルが相次いでいる。それだけではない。小売店にも客足が止まっている。もちろんガソリン不足も大きく影響しているが。
とくに仙台、宮城方面からの客で賑わっていたそれまでの繁盛店は顕著だ。
今後、どうなるのか。

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今日も20ℓ給油

3月24日(木)

一昨日の22日に給油できたのは二口橋通りの中川石油のシェルスタンド。しかも並んだ時間は午前8時半過ぎだった。
先週からこのスタンドの給油営業日を見ているとどうやら一日おきに午前7時から開けているようだ。
そうすると24日は営業するに違いないと午前5時半過ぎにスタンドへ向かった。ビンゴ!すでにかなりの数の車が並んでいる。馬見ヶ崎川土手沿いの東小学校の体育館横の最後尾に並んだ。午前5時50分。ここなら営業を開始してから1時間前後で給油ができる。7時過ぎから列が動き始めた。給油が始まったのだ。制限の20ℓを給油完了したのは午前8時丁度。予想通りの所要時間だ。が、トータル2時間10分。これでも他のスタンドよりは早いかもしれない。ついでに車に積んできたポリタンクに石油を18ℓ購入。自宅へ戻る。午前8時12分。素早く朝食をすます。

洋子さんは母の病院へ行かなければならないのでやむを得ずMOCOで事務所へ。同乗する。

中川石油のシェルスタンドがやっぱり営業するようだから並んだよとの私の情報を洋子さんがどうしてもガソリンが必要だという友人にリアルに連絡。
友人は大急ぎで並びに行ったがすでに列の最後尾は千歳橋のガード付近にまで至っていたそうだ。時刻は午前7時。それでも午前9時前には給油ができたと洋子さんにお礼の電話があったそうだ。
う〜ん、何時に並ぶかが問題なんだな。営業開始前の待ち時間をどう考えるかだ。
このスタンドの営業サイクルからみると26日、28日、30日と営業すること間違い無しだな。

通常、我が家の車はすべてカメイのエネオス県立中央病院前のカード会員とメール会員になって給油している。値段が安いしサービスも良い。月6〜7万のガソリン代を払っている。
遠藤商事のコスモスタンドの会員にもなっているのだが最近は行ったことがない。

震災後の燃料不足が始まってからエネオス県立中央病院前からメールで営業の予告を知らせてくる。よし、とすぐ向かうのだが何故なのかすでに天童方面まで長蛇の列。会員もなにもあったものではない。メールがきてから数分もたってないのに何故こんなにも集まってくるのだろう。メールの前に情報が流れているとしか理解できない。
昨日予告メールがあったので県立中央病院前に向かった洋子さんが家具のオツタカまで並んでいるようだからや〜めた、と帰ってきた。しかし満タンOKは魅力なんだけどな。

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気仙沼から

東日本大震災で壊滅的な被害にあった気仙沼の熊谷さんと携帯で2〜3度話す事ができた。
気仙沼と自分の会社の復興には何年になるかわからないが長い時間がかかるという。今の支援はもちろんそれよりもその長い復興において支援をお願いする時がくると言う。会社が全部津波にやられてにもかかわらず口調はしっかりしていて冗談まじりの会話をもしてくる。心配をかけまいという彼の心配りの冗談だと良くわかる。頭が下がる。

呉服染めものたかはしさんの高橋さんからも携帯が入った。みんな無事とのこと。一階部分が全滅、二階は残ったそうだ。破壊の状況の報告とその修繕方法の相談だった。呉服反物は全滅とのこと。

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守られているのだ、ただただ感謝。

午前中はガソリン給油、昼からは県立中央病院。結局今日は事務所に落ち着く事はなかった。

「・・・お願いします」

「それが良いと思います。但し延命治療はしませんよ。症状を緩和していくだけですからその点は必ずご了承ください。また症状が急変することもありうることも覚悟しておいてください」

「よろしくお願いします」

緩和ケア病棟へ行く前には一般病棟での入院をしなければならない。
母が病棟のベットへ横になったのは夕方だった。

この入院で二度と母は自分の家に戻る事がなくなったのだ。
もともと我々が介護していく覚悟ではいた。しかし、これが母にとっては最良の方法かもしれない。


認知もあり難聴でもある母は現実は良く理解していないだろう。しかしあきらかに環境が変わったことに興奮気味である。当たり前なことだ。


午前中まで誰がこのようなことになると思っていたろう。
まったく思いもよらないことになったのだ。

昨日は天童の父の墓前と位牌の前で母の安心を願った。
そして我が家の菩提寺泉福寺の墓前と位牌にも。
そこで住職さんに我が家のおばあちゃんの三回忌法要の件をお願いしに行ったら
思いもかけずに携行缶をお借りすることができた。

今日の朝は自転車でたまたま通りかかったスタンドでその携行缶のおかげでステージアにガソリンを給油することができた。
給油したとたんに天童の施設に熱を出した母を迎えに行き県立中央病院に連れて行く事ができた。
予約した訳でもないのにたまたま母の主治医の塩野先生がいて時間外なのに診察してもらえた。
そして入院、緩和ケア病棟の話しをいただいた。

この成り行きは一体なんなんだろう。予想だにしなかったことが起きたのだ。
決して自分たちの意志と思惑ではない。

母も私たちも守られたているのだ。間違いなく何かに守られているのだ。そう思った時、洋子さんと二人で病院のイスに座りながら涙した。ただただ感謝。ありがたい。

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緩和ケア病棟

「熱は肺のガンからきています。前にもお話をしたと思いますが後、半年あるいは夏までがせいぜいかと思います」
と主治医の塩野先生。

母は一昨年の夏、大腸ガンの摘出手術を受けた。その際の検査で肺ガンが発見されていた。末期であることと高齢を考えると手術や抗がん治療は無理と判断されていたのだ。昨年暮れまでは特別具合も悪くなく生活してきた。ほんとに末期の肺ガンなのだろうかと疑うほどだった。が、診断の結果には覚悟を決めていた。

「ショートステイにも自宅にも帰さずこのまま入院して下さい。いずれにしてもこの熱は肺ガンからきています」

「どのくらいの期間、入院になりますか?」と私たちは聞いた。

県立中央病院なら安心だ。医師の指示に従うことにした。しかしこのままいつまでも病院が治療もできない患者をいつまでも入院させてくれる訳がないことは分かっている。

「え〜と、私の提案ですが、この病院には緩和ケア病棟があります。ホスピスって知ってますか?
ガンを治癒できなくてもガン患者の苦痛などの症状を緩和して最後の人生を快適に送れる病棟です。そういった意味でも単に延命のためだけの処置はしませんが」

緩和ケアのことは知っていた。この病院にもあったのか。洋子さんは知っていたようだが。

「お母さんの状態からみるとこのまま入院して当病院の緩和ケア病棟に移ることができますね。そこで一生を送る事になりますが。患者さんの痛み苦しみを緩和し、またご家族の人たちの援助にもなります。個室で24時間面会ができます。宿泊施設もあります。どうですか?
あくまでこれは私の提案です。このまま、施設と自宅とで介護を続けるか、一旦入院させて退院してから介護をつづけるかどうかは家族の人たちの判断です。もし、緩和ケアを選択するなら今すぐ手配してあげましょう」

と緩和ケア病棟の資料をとりだしながら入院病棟へ電話をかけ始めた。

この展開には一瞬、とまどった。二人で目をあわせた。当然、熱が下がったらショートステイ先か自宅へ連れて帰ることと思っていたのだから。熱が下がらない時は短期の入院にはなるかとも。

「患者さん本人にはもちろん、ご家族の人たちにとっても良い方法だと思うんですが」

天童の弟に本来なら相談しなければならないのだがおそらく一任してくれるはずだ。塩野先生の提案への返事を躊躇すべきではないと思った。
透析を受けている一人暮らしの彼が一番安心するのはこの緩和ケアであるに違いない。

洋子さんの目を見る。彼女は決めたようだ。

夢にも思わなかったこの成り行きは一体なんなんだろう・・・・。

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携行缶があったればこそ

3月22日(火)

ここ2〜3日で雪は消えてしまっていた。
さあ二人で自転車出勤だ。

途中のスタンドに車の長い列が、しかし他のスタンドに比べると短いような気がした。列の車を誘導しているスタンドの従業員に洋子さんは別にあてにする訳でもなく聞いたら最後尾に並んでも1時間位で給油できると言う。洋子さんと即、協議。自宅には昨日お寺から借りた携行缶がある。よし、私は自転車で大至急自宅へ戻りMOCOに携行缶を詰んでスタンドの車の列の最後尾に並んだ。給油ができたのはそれから1時間15分後。20ℓまでの制限なので携行缶に5ℓ、残りはMOCOに。意外やMOCOは12ℓで満タンになった。すぐ再び自宅へ引き返しステージアに携行缶から5ℓを給油して急いでさっきのスタンドの列に並び直す。今度は早い、1時間足らずで20ℓの給油ができたのだ。これすべて携行缶のおかげだ。お寺様のおかげだ。感謝。

このまま車で事務所へ。

天童の母のショートステイ先から熱を出しているので病院へ連れていって欲しいとの電話が洋子さんに入っていた。早速二人でステージアで天童へ向かう。ガソリンを給油して動けるようになったとたんの話しだ。このタイミングにちょっと驚く。
天童から山形に戻り県立中央病院で診察をしてもらう。運良く母の主治医だった医師が診察。

  診察後、医師から思わぬことを提案された・・・・。

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お彼岸に携行缶が

午前中、ガソリンにやや余裕がある洸の車を借りて天童の実家の墓参りと菩提寺の位牌堂のお参りに。
道々、どこのスタンドにも車の行列。
山形へ戻り岡田家の菩提寺へ。お墓と位牌堂でお参りを済ませ、我が家のおばあちゃんの三回忌の日取りの打ち合せに住職に会う。日取りを決めた後、やはりガソリン不足の話題になる。先日のガス欠の事を話し携行缶さえあれば助かるんだがと言ったら、あ、うちにあるからお貸ししますよと言って倉庫から持ってきてくれた。何と言う事だ。あれだけ探していた携行缶がまさかお寺で手に入るとは。ありがたい、感謝。1〜2日お借りする事になった。

午後からは落合町二区の町内会総会だ。当然ながら総会後の懇親会は中止だ。

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避難所

3月20日(日)

ある県議からの電話で落合スポーツセンターへ。
避難者家族支援ボランティア協議会立ち上げの打ち合せだった。市の担当者やセンターの幹部、そしてとりまく町内会の役員が集まった。私は町内会の役員でもなんでもないが何故か声がかかった。ちょっと場違いな気がしないでもないけど避難者支援に何らかの協力ができるならと参加した。

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打ち合せが終了した後、一人で避難所を見て回る。想像と現場は違っていた。津波の被災者ではない。原発からの避難者のためある程度身のまわりの物は持って来ている人が多い。怪我や体が弱っている人は少ない。物資もある程度足りているようだし、三度の食事は山形市が手配をしている。
しかし不安を抱いている表情は明らかだ。心と体のケアが必要かもしれない。入浴にも不自由している。手持ちのお金がある人は近所の入浴施設に行っているようだ。乳幼児の入浴もままならない。

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各年代ごとに下着や衣類が置かれている。棚の衣類は整然とたたまれている。必要なものを探しにきた人が探し終わった後きちんとたたんで行く。この整頓された様子にはちょっと驚く。

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柔道場も避難所になっている。ここは畳敷きなのでもちろん土足厳禁だ。履物がきれいに並べられている。出入りする人がその都度、乱れている履物を揃えて行く。もちろん他人のものでも。
こんな大きな不安を抱えながら郷土を離れて避難した人たちがこんなにも見事な折り目ある秩序ある生活をしているとは。日本人は素晴らしい。どんなに困った境遇にあっても心が豊なのだ。

外国のマスコミは今回の災害に遭っても日本人は冷静でそして社会秩序、マナーを守ることに対して絶賛している。

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ガソリンが抜けない

3月20日(日)

MOCOに半分、洸の車にも半分のガソリンが入っている。スタンドへ行って並んで待つ分だけのガソリンをもらおうとホームセンターからゴムホースを買ってきた。
あれ?抜けない。タンクに入れたホースを口で吸って誘水して抜くのだが流れてこない。何故?昔はこうして他人の車からもらっていたもんだが。ホースがタンクの中までうまく入らないのだ。仕方がないあきらめた。

後で聞いたのだが最近はタンクの給油管の途中に網が取り付けらていてゴムホースは入らないようになっているのだそうだ。それじゃ無理なはずだ。

携行缶があれば立って並んでもなんとかなるのにな。

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炊き出しボランティア

3月19日(土)

同じ町内の山形市落合総合スポーツセンターに福島の原発の事故から1000人以上の人たちが避難して生活している。外では支援物資の受け取りや炊き出しのボランティアグループが活動していた。中にも相当数のボランティアが活動している。

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ついにガス欠エンスト

16日か17日かの早朝のこと

ステージアは雪を被ったままだ。
スタンドに並ぶにもスタンドまでの燃料も危ない。
並んだとしても長時間のアイドリングは無理だろう。
当分ガソリン事情が回復するまであきらめようとしていた。

16日か17日か忘れたが自宅から一番近いスタンドが朝7時から営業するという情報にかけたみた。車に積もり残った雪を除くのもそこそこに早朝向かった。吹雪だ。燃費が悪いのでヒーターは控えめに走らせる。窓ガラスに雪が付着して視界が悪い。早く並んでアイドリングの時間を短くしなければと急いだが交差点角にあるスタンドにはすごい数の車がすでに並んでいた。スタンド最前列からず〜っと町内を一周しているその列の最後尾に停車する。一周しているのでステージアの後ろにスタンドがある。スタンドには一番近く一番遠い。

たちまち後ろに数台の車が並んできた。さあ、覚悟してエンジンを切って寒さに耐えながら待とうと思いキーに手を伸ばそうとしたとたんストンとエンジンが勝手に止まった。

あー、やっぱりダメか!恐れていたガス欠によるエンストだ。後方の車の人にエンストしたから私の車にかまわず追い越して行ってくれと伝えて20〜30m離れたスタンドへ駆け込み事情を話しなんとか売ってくれとお願いしたが携行缶がないから無理との返事。給油はあきらめて自宅へ戻る分だけでもなんとかして欲しい。
すぐそこだ、ほらそこに見えるハザードランプのついている車だから頼む!
あ、あの車ですか。
そうだ、近いだろう。
それならジョッキーに1ℓだけなら、そして私が持って行くならなんとかします。
と、白い大きな水差しの形をしたジョッキーに1ℓを入れて従業員と二人でステージアへ走った。彼が給油口へジョッキーを傾ける。
あ、すいません!
ドボドボと三分の一ほどこぼしてしまったのだ。おこる訳にもいかない。あ、良いよ、良いよ。
それにしても運の良い場所でエンストしたもんだ。

燃費はリッター当たり8.5km。700cc程度入ったので6kmは走れる。自宅までは500m。大丈夫だ。列からリタイヤして相変わらず吹雪の中を自宅へ戻った。
しかし地震直後よく自宅まで戻れたもんだ。しかも後500mしか走れない状態のギリギリだったのだ。良く帰れたもんだ。運が良かった。

あ〜、もうやめた。並んでまでガソリンを入れることないよ。と、開き直ってしまった。それにしても携行缶があればなんとかなるのだが・・・。市内中の売り場から携行缶は売り切れで消えてしまっている。幸いこの現状ではいずれにしても出張も遠出もできない。市内は自転車で動けば良い。事務所に缶詰で仕事をするか。

はるか彼方の岡山市内でも携行缶が消えたと言っていた。全部被災地、東北地方へ回されてしまったようだ。

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震災七日目-その2 あの空の向こうに・・・

今日は一日中良い天気だった。
夕方事務所のベランダに出てみた。

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春の夕日と例年なら言うのだろうが、これでは「冬の夕日」だ。

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黄昏の東の空には白い月。きれいだ。
だが、この空のつながる山の向こうの被災地では多くの避難者や行方不明の家族や知人を探す人たちが途方にくれている。そして同じこの白い月をどんな思いで目にしていることだろうか。
天地自然の神が私たちを生かせているという。この大災害を受け止める力も神が与えてくれるだろうことを信じる。


計画停電が実施されるかどうか未だ決まっていない。いずれにしても節電をしなければならない。
明日の第三土曜日は通常なら出社日だが節電のため休みにすることにした。

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震災七日目-この雪では自転車は無理

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青空が広がっている。いい天気だ。しかし雪が積もっている。これでは自転車は無理と二人で事務所まで歩き始める。
近道なのでダイユーエイトの駐車場に不法侵入する。すでに何人もの足跡。ガソリン不足で車での通勤が減っているのだ。

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いつもは混雑する道路に通勤時間帯にもかかわらず車が見えない。以前にくらべ洋子さんの歩きが早い。フィットネスのおかげだろうか。時折後ろを振り返り無言で早くついてくるように催促する。
しかしすでに三月下旬だというのにこの景色はなんなんだろう。道を覆いかぶす真っ白い雪、透き通るような青い空そして冷えた空気。

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震災六日目-その2


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いつ停電があっても良いようにためておいた仏壇の燃え残りロウソクを溶かして大きなロウソクを作った。

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震災六日目

3月16日(水)

良かった!熊谷さんたちの無事が確認された。赤間さん、斉吉さん、米倉さんたちも無事のようだ。ほんとに良かった。高橋さんは震災当時出張で気仙沼にはいなかったが一階部分は全滅したそうだ。

ところで福島第一原発の被害が深刻になってきた・・・。

どうしてこんな時に雪が降らなくてはならないのだろう。昨晩から雪が降り続いている。被災地の人たちに非情な雪だ。避難所は燃料がなく暖房がとれていないという。しかもこの時期例年よりも寒い。

降り積もった雪に自転車の車輪をとられながら出勤。

真由子ちゃんから今仙台から山形へバスで向かったとの携帯が入る。
終点の山交ビルに迎えに向かう。臨時バスが増便されていて次々と仙台からの避難者が降りてくる。
真由子ちゃんと再会、意外と元気そうで安心する。どこかでしっかりした食事をご馳走しなければと考えていたが乗り継ぎの鶴岡酒田行きのバス乗り場へは長蛇の列を作っていた。定期便に関係なく何台ものバスが入ってくる。ここでのんびりするのは賢明ではない。一刻も早く酒田まで行った方が良い。真由子ちゃんを並ばせておいて弁当や飲み物を買いに走る。目の前のコンビニは売り場が空っぽ。駅前のコンビニではパン一個だけ買えた。えー、こんなにも不足しているのかと驚く。十字屋デパートの地下へ急ぐ。あった!お寿司もおにぎりもお惣菜も売り場に並んでいる。こんなに食べられるかなとは思いながら万が一のため多めに買い込む。ペットボトルも2本入れた。重い、袋がずしっとする。ちょっと荷物が多すぎて大変かなとは思いながら手渡す。

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一緒にバス待ちの列に並び仙台の状況、仙台空港での様子を聞いた。しかし体になにごともなくてほんとに良かった。

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このバスに乗れればなんとか今晩中に青森につけるはずだ。午後の1時過ぎ道中無事を祈り見送る。

夜真由子ちゃんから携帯が入る。停電で羽越本線も特急列車が運休となり各停で秋田へ向かいそこで一泊することになったとのこと。青森へは翌日に到着することになる。しかしホテルでゆっくり余震も心配する事なく体を休める事ができるだろう。

無事ホテルにチェックインしたとの連絡が入る。これで一安心だ。

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震災五日目

3月15日(火)

自転車で打ち合せに駅方面へ行ってきた。駅前は大混雑をしていた。仙台方面から高速バスで避難して来た人たちですごい混雑をしているのだ。JRは新幹線在来線とも全てストップしている。バスしかないのだ。

駅前の喫煙場所で一服していると一人の青年が声をかけてきた。仙台から来たという。業務遂行が不能とのことで名古屋の本社に戻るよう指示があったとのこと。仙台も国道四号線から海沿いは津波の被害が大きかったようだ。鶴岡まで山形からバスで行って羽越本線で新潟方面へ向かう方法がある事を教えてあげた。

仙台は風呂にも入れない、まともに食事もできない、暖房も使えない状況だと青年に聞いた。打ち合せをしながらレストランでランチを食べてきたことにちょっとうしろめたさを感じる。

小川さんの真由子ちゃんが無事、空港から出て自宅へ戻ったと聞いた。空港には三日三晩閉じ込められたそうだ。良かった。明日山形経由で庄内へ向かい羽越本線で北上することになりそうだ。

さすがに自宅へ帰る夜の自転車は寒い。しかし洋子さんと二人でサイクリングなんて初めてかも知れない。ちょっと良い気分がしないでもない。

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震災四日目

3月14日(月)

全てのガソリンスタンドには恐ろしい程の長い車の列が並んでいる。震災の影響でガソリンが入ってこなくなってきたのだ。ガソリンパニックがおき始めた。

洋子さんと洸がホームセンターで自転車3台を買ってきた。在庫最後の自転車だったそうだ。
明日からは自転車通勤だ。

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震災三日目

昨晩は母のベットの横で寝た。ひっきりなしに起き出す母をなだめることを繰り返すうちに夜が明けた。

早朝、MOCOで残り燃料を気にしながら市内のスタンドの様子を見に行く。運良くユーフィットの近くのスタンドが7時半から営業するようだ。まだ6時半だ。一度家に戻ってから再度スタンドに向かった。しまった!あのまま並んでいれば良かった。すでに50台以上の車が並んでいた。しかし30分ほどで制限された20ℓを給油。ホッとする。が、ステージアはどうするのか。スタンドまでも行けるかどうかの残燃料だ。

明日提出の仕事があるので朝食後、事務所へ。
福島、白河、須賀川周辺も地震の被害が大きいというニュースが流れる。
白河への電話は通じた。新駒本店、大福家など土地、地盤によって被害の大小があった。営業ができない状態に陥っているのはどの店も同じだった。鏡石の金沢庵さんも同様だ。

津波により壊滅的な被害を受けた町が次々とテレビの画面に現れる。気仙沼の帰りに何度も通った海沿いの国道45号線沿いの町が軒並みやられている。あのきれいな漁港や古い街並が消えてしまっている。
本当なのだろうか。これ現実なのだろうか?

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東北地方太平洋沖地震(震災二日目)

昨晩は着の身着のままで寝た。余震が続いていた。
朝起きてもまだ停電が続いている。昨晩物置から引っ張り出してきて火をつけてみたが黒い煙が止まらず二酸化中毒が怖いので使用できなかった石油ストーブを庭に出して点検をしているうち電気がついたよーという洋子さんの声。点検したって直せようがないんだし直ちに点検中止。午前八時半。
テレビのスイッチを入れる。画面からは目を疑うような津波の惨状が写し出されている。昨晩はラジオで尋常ではない被害であることは想像がついていたがこれまでひどく広範囲であることに驚く。恐ろしいことが現実に起きているのだ

入浴と朝食後洋子さんとMOCOで事務所とユーフィットの点検に向かう。我が家の近辺以外はまだ停電のようだ。信号もまだ動いていない。もちろんガソリンスタンドも営業不可能状態だ。さ、ステージアの燃料はどうしよう。ま、とりあえずはMOCOがあるから良いかとも言ってられない。MOCOの燃料も残り少ない。
幸い事務所もユーフィットのスタジオも大きな揺れのわりにはそうたいした問題もなかった。安心する。

気仙沼の被害の惨状が上空のヘリコプターから中継されている。なんということだ。明らかに熊谷さん、斉吉さん、米倉さんたち一帯の建物は完全に消えているのがわかる。無事に避難してくれていれば良いのだが。熊谷さんの携帯を呼んでみるが通じない。

仙台空港にも津波が襲っていた。周辺から孤立した状態で空港機能はマヒ、使用不可という。小川さんの娘の真由子ちゃんが空港に勤めている。どうしたろう?やはり携帯は通じない。

午後、母のショートステイ先の天童南小畑から天童はまだ停電が続いており、食材等を手配できないのでという電話が入るがガソリンがなく迎えに行けない。先方で母を自宅へ送ってくる。
もうすでに地震の影響が出始めているのだ。
これから大変なことになることを予感する。

今日はステージアのガソリンはあきらめる。

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大地震

3月11日(金)
昼前、大石田の横丁とうふ店最上川千本だんごの五十嵐さんと打ち合せ。

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すごい雪が降っている。春はまだ遠いな・・・。真っ白で暗い最上川だ。


ステージアの燃料ランプが大分前から点灯している。この後、谷地の高梨さん焼きとりつよ太さんへ寄っていくのでどこかで昼食をしてから打ち合せを済ませてから谷地のどこかのスタンドで間に合わせ程度の10ℓ程度給油してからいつもの県立中央病院前のカメイさんでしっかり給油しようと思って車を走らせた。が、メーターの針がぐんぐん下がっていく。途中スタンドが何軒かあったがいいや、昼食が先だとひさしぶりにラーメンぬーぼうさんへ。

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「ぬーぼう」さんと並ぶ「ブルドック」。デザインをさせていただいてもう5年になる。早いものだ。わざと錆びさせたトタンを外壁に使ったので年数を感じさせない。

らーじゃんメンを食べる。うん、うまい。醤油の辛みスープに好みで酢とラー油を入れる。これまた旨いのだ。

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しかしこの事が後で困ったことになるとは夢にも思わなかった。

高梨さんとオープンの段取りの打ち合せ中、突然彼の携帯がけたたましくなった。通常の呼び出し音ではない。
地震予知速報だ。「え!地震がくる。宮城沖だって」と言い終わったかとともに横揺れが始まった。お、大きいぞなんてふんぞり返っていたのだがそれもつかの間、尋常ではない大きな揺れに皆で外の駐車場へ。
ステージアや他の車が前後左右に大揺れをしている。まともに立っていられない。こんな大きく強く長い地震は初めてだ。
揺れがおさまって周囲を見ると照明は消え、信号も止まっている。

もう打ち合せところではない。みんな解散。山形へ戻り始めるが、しまった、停電でスタンドがどこも給油できない状態になっている。山形まで戻れるかどうか不安になる。とりあえず谷地橋を渡って13号バイパスへ回る。手動のスタンドがあるかもしれない。
天童の鈴与へ入るがやはりだめだ。しかし動き回って途中でガス欠になったらシャレにならない。停電が回復するまでスタンドの駐車場で待たせてもらうことにした。が、何時間たっても回復しない。そのうち外は暗くなってきた。なかなか携帯が通じない。回線がマヒしているのだろう。スタンドへは次々と車が入ってくる。そして待機駐車で人が一杯になる。スタンドのスタッフがそれらの人たちへ缶コーヒーの差し入れをしてくれる。ありがたい。

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鈴与さんのスタンドにて停電の復旧と給油を待つ

こりゃだめだと思っている時、山形放送ラジオから天童の東久野本のスタンドが手動で給油しているスタンドがあるとの情報が流れた。
急いでそこへ向かったがすでに百台以上の車が並んでいた。ここに並んで待っていてもアイドリングだけでもガス欠になるかもしれない。えい!思い切って山形の自宅まで走って戻る事にした。ヒヤヒヤしながらハンドルを握る。が、無事自宅へ走ってくれた。
暗い自宅で待つ洋子さんと彼女の車で実家の母がお世話になっているショートステイ先の天童南小畑へ引き返す。薬をとどけなくてはならないのだ。信号がまったく消えている道を注意しながら天童へ往復する。
これは大変な事になった。カーラジオから流れてくるニュースを聞きながら津波の被害の大きさに驚く。気仙沼の熊谷さんたちは無事だろうか?斉吉さんは。赤間さんは?どうなったろうと心配になる。

真っ暗な食卓でろうそくと懐中電灯で遅い食事をとる。夜遅くに洸が帰ってきた。当然彼の勤める県庁は緊急体制をとっている。

厚着をして布団に入る。一体明日はどうなるのだろう。停電は復旧するのだろうか?

昼にラーメンを食べる前にやはり給油すべきだったと後悔しながら眠りにつく。

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うわー!雪だ

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朝、玄関を出たらなんと、すごい雪だった。
なかなか暖かくならない、春はいつになったら来るのか。
斜め向かいの老人の一人暮らしの家の前をすでに地区の民生委員の方が雪かきをしていた。
雪が積もるといつも早朝から雪かきをしてくれている。自分の家の雪かきもあるのだろうに本当にご苦労さまだ。これで無報酬だというのだから頭が下がる。

顔を合わせた。
「おはようございます!ご苦労さまです」
「あ、いやいやどうも。ところでお宅の天童のおばあちゃんはもうここにきていますか?」
と心配してくれる。ありがたいことだ。

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工事現場

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ホテルに岡部社長さんからお迎えをいただいて早速現場にて打ち合せ。
解体真っ最中。このけたたましい音の中にいるっていうのは案外と落ち着くものだ。
机上でのプランニングも良いが現場に体を置くのも良いもんだ。

今日、実家の母が退院してくる。我が家で当分の間介護をすることになる。岡山から早めに山形へ戻らせていただいた。

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一人っきりの朝食

え?こんな展望の良いレストランを独り占めか。
別に早くも遅くもない朝食時間なのに他の客が誰もいない。

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岡山国際ホテルの13階の朝食レストランから見下ろす岡山市街の景色も独り占めな訳だ。
申し訳ないような、贅沢な朝食をいただきました。

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前回と同じ洋食をお願いした。タマゴを二つ焼いたのが本来の目玉焼きだ。ちょっと黄味が堅すぎたのが残念。やはりトローッとしている方が私は好きだ。

誰もいない静かすぎるレストランの客席に奥の厨房からスタッフたちの話し声や笑い声が遠慮なく聞こえてくる。岡山の老舗ホテルを自負するならスタッフの皆さん、注意して下さいよ。

そう言えば新聞に仙台の老舗ホテルが閉館するという記事があったな。

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串揚げ

夕方山形の事務所を出て仙台空港から伊丹空港へ。
夜遅くに岡山へ到着。
さ、ホテルへ入る前に食事をしなければというより岡山も結構寒いので熱いのを一杯キューとやりたい。
駅前のそれなりのみ店を探す。

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う〜ん、ここはパス。おなじみさんで固まっているような雰囲気なので。

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「いそや」
ここは気楽に呑めそうだ。カウンターのイスが清酒六本入りのコンテナに薄い座布団を紐で括り付けている。お、これ谷地の「焼きとり つよ太」でやろうとしているイスと同じだ。うんこれで良いのだ。

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熱燗と串揚げ数本を注文。菊正宗だ。金のない学生時代によく呑んでいた酒、なつかしい。串揚げは数年前の大阪通天閣の近くで食べて以来だ。

近くの仕切りの陰から「今日は客が少ないがこういうヒマな時にどう動くかが大切だぞ。私がいちいち指示はしない。自分でどうすれば良いのかを見つける努力をすること。探すんだよ。いくらでもやることはあるよ。その気持ちになること、それがあなたを成長させるんだぞ」「はい!」という会話が聞こえてきた。おそらく店長とアルバイトの女の子だろう。なかなかしっかりしている店だ。良い店に飛び込んだもんだ。

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大福家のテーブル

今日は福島県の鏡石へ打ち合せに。その後白河へ。
途中、大福家さんに寄る。
この店の新築時に作った座卓が健在だ。ラワンベニヤ合板で作ったこの座卓、案外丈夫でしっかりしている。とてもラワンベニヤで作ったとは思えない。私の自慢のアイデアの一つだ。

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ティーポット

市内のインテリア雑貨店で見つけたハーブティー用のポット。
ラベンダーの模様がきれいだ。

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今年から近所の猫の額ほどの小さな畑を借りて花を栽培する予定。仏壇のお供えする花を中心にする予定なのだがハーブも植えよう。


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どんぐり

解けた雪の中から去年の秋に落ちたどんぐりが見えてきた。しかし風が冷たい。
三寒四温、この繰り返しが終わって本格的な春がくるのだろう。

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天童市のとある神社の境内で

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足跡

2月28日(月)

おだやかな天気が続いていたが今日は久しぶりの雪。

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最初にこの雪を踏んだのは人か車かそれともカラスか?

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