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2013年9月

『日本国民禁酒同盟』と『健康報国』

 今日、東根市の旧家の門の柱に『健康報国』と『日本国民禁酒同盟員』と書かれた古いホーロー引きの札が張られているのを見つけた。いままで何度も通っているのに気がつかなかった。日本禁酒同盟のメンバーである印なんだろうが初めて目にした。酒好きの私にとっては興味深い札である。

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ネットで検索してみたらこの同盟は今もあるではないか。

明治23年東京禁酒会として発足、同31年日本禁酒同盟会、大正9年㈶日本国民禁酒同盟、そして戦後の昭和24年㈶日本禁酒同盟として現在に至っているようだ。
とするとこのホーロー引きの青い札は大正9年から昭和23年までの間のものだ。


『健康報国』についても調べてみる。
藤野豊『強制された健康ー日本ファシズム下の生命と身体』(吉川弘文館、2000)に次のように書かれている。
昭和13年に誕生した「厚生省」の大臣、木戸幸一が国民の身体は自分だけのものではなく国家のためであり、国家の為に鍛錬し、強化し、それをもって健康報国の信念を保持することが肝要であるという講演を行った。そして病者、障害者は「非国民」視されていくようだと。

 う〜ん、そうすると私は非国民だな。間違いない・・・。
「一般財団法人日本禁酒同盟」http://nippon-kinshu-doumei.fd531.com/ のホームページを参考までにどうぞ
 

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「服務の宣誓」

昨日の山形新聞にこんな記事を見つけた。

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北朝鮮、金正恩の8月25日の談話である。国、国家、国民のためではなくあくまで党と首領(金正恩)だけのために北朝鮮人民軍はあるとのことだ。
 我が日本ではどうだろう。先日の防衛省自衛隊武野浩文一佐の講演で自衛隊の「服務の宣誓」を知った。

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『服務の宣誓』
宣誓
 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳格な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動には関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。

これを自衛隊員一人一人が宣誓するのである。
憲法改正論議はともかくとして私たち国民の負託にこたえるという誓いには感謝せざるを得ない。私たちは今、この国に住む幸せとその感謝を強く感じ、国を守らなければならない。

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月がとっても青いから

今日は中秋の名月。東の山から見事な満月が昇ってきた。明るい夜の空だ。
 昭和34年小学六年の時だった。
日が暮れても家に帰らない子供を探すために当時の担任教師、岩手大学を卒業したばかりの西山哲男先生が私たち同級生の家を回り各親の許しをもらい同級生達を集め夜の山野を駆け回ったことがある。
Photo 黒く細い山道を小学六年の子供たちが、まだ帰らない同級生の名前を呼びながら列を作って歩いて山野の上には丸く大きな月が輝いていた。明るく夜の道を照らしてくれていた。
 今も覚えている。ラジオからはいつも〝月がとっても青いから、遠回りして帰ろ〜♪〟という流行歌が流れていた。ある訳ないと思っていた青い月がその時私たちの頭上にほんとにあったのだ。
 夜の山野を仲間みんなで探そうと各家を回って親を説得して歩いた西山先生。それに応じてくれた親たち。
 あの頃は何か良い時代だったなと思いながら、今も丸く大きな満月を見上げている。でもあの時の青い月ではない。青く見えないのだ。
 そしてあの西山先生は若くして人生を終えていた。

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思い出がまた一つ消えてゆく

数年前から閉館していたシネマ旭として長い間、映画館として親しまれてきた旭座の解体撤去工事が始まっていた。

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高校時代なけなしの小遣いを工面して何度となく通った思い出の映画館だ。映画を観た後にはすぐ近くにある食堂の格安〝学生ラーメン〟をよく食べて帰ったものだ。
この辺りはシネマ通りと呼ばれていた。近くには享楽街もあり賑やかで楽しい、高校生の私には大人の香りがする界隈だった。
古い物が消えて新しい物が現れる。私の思い出は消えるが今の子供達にとっての新しい思い出が造られるのだ。遺されるものと消え去るものの基準は単に私的な思い出の範囲では決められないのはもちろんであるが〝遺すべきもの〟が公的な建物に偏る事なく民間の建物にもあって欲しいものだ。

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偶然にも数年前に旭座をスケッチしていた。このスケッチが思い出を残してくれることになってしまったようだ。

こんなホームページのサイトを見つけた。
『消えた山形〜黄昏の風景』
http://ht9901.web.fc2.com/index.html

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小さくても愛される店でありたい

**3月からブログを休んでいました。FBにばかりいってましたが再開しようと思います。皆様、これからもよろしくお願いします。***

 文翔館の東側角に小さなお弁当 屋さんがある。いや、あったというのが本当だろう。昨日、文翔館にKSフォトクラブ写真展を見にいった帰りにそのお弁当屋の前を通りかかったら閉店のお知らせの張り紙があった。この店の隣には全国チェーンの弁当店がある。それにも負けず数年間は営業していたのだが、やはり閉店になったかと思いながらその文面を見た。

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    が、そこには店主逝去のためとあった。そういえばこの店を通りかかる度、よく客が入っていたのを覚えている。隣があるにも関わらずここの店はしっかりと客に愛されていたんだと感じていた。張り紙の前で〝お疲れさまでした!〟と頭を下げた。

 それだけではない。その張り紙の左にもう一枚の張り紙があった。そこには

〝いずこの人かは わからねど 君がこころね 忘れまじ〟と詠まれていた。

そして〝72217時花束とメッセージ確かに受けとりました。ありがとうございました。〟と続いていた。それを見た瞬間、胸が熱くなってきた。

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 おそらく店主が病気に倒れ、休業しているとき客の1人が花束とメッセージを店頭にそえた事への家族からのお礼文なのだろう。閉店のお知らせとこの文の日付からしてきっと長く病に倒れ休業していたに違いない。

 間違いなく素晴らしい店、そして店主だったのだろう。客にこんなに愛されていたなんて。それにもましてその家族はなんと暖かい心を持っているのだろうか。
いや、もしかして本人書いたお礼文かも知れないがいずれにしても紙を貼ったのは家族であろう。

 私は残念ながらこの店で弁当を買ったことがなかった。一度でいいから店主からありがとう、そして私からもありがとうと声を掛け合ってみたかったものである。

 店は大きさではない、どんなに小さくても一人ひとりに客に愛される店でありたい。

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