日記・コラム・つぶやき

交番に誰もいない。

「誰もいないよ、この交番。どうしよう、この免許証」

交番前で110番したら15分ほどで交番へ警察官が戻るようだが、それまで待っていられない他の用事がある。
その用事が終わってからまた交番へ行ってみたが再び誰もいない。
山形警察署に電話をする。
事案が多発していて警察官は出っぱなしなので、あらためて明日、届け出をして欲しいとのことを言われる。

日も暮れた頃、路上に落ちていた免許証、キャッシュカード、名刺(本人のものではない)を拾った。すぐに交番へ行ったのだが届け出ができない。困ったものだ。あげく、明日まで持っていてほしいと言われても他人の免許証やキャッシュカードを持ち続けているのはどうも嫌だし、落とした本人が一番困っているにちがいない。

自宅の近くにも交番があるのでそちらへ届けますか、と言ってもその交番も留守かもしれないので山形警察署まで持ってきてくれれば良いのだがと言われる。しかしここからは遠い。
仕方がない、明日までこのまま持っていよう、と自宅へ向かった。
自宅近くの交番を通りかかったがやはり留守のようだ。すぐ近くのラーメン店で夕食を済ませて念のため再びその交番に行ったらパトカーが停まっていた。
若い警察官が食事をしているところだった。今日は事案が多く、交番へ戻ってきてやっと今食事をしているところでしたと若い警察官。対応の良い、気持ちの良い警察官だった。交番が留守がちだったことを謝ってくれる。

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やれやれこれでホッとする。
でも、町の交番がこうも留守ばっかりでは地域に何かあった時どうするんだろうね。
 

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はなかみ先生

今日は馬見ヶ崎川原で芋煮会でした。

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芋煮会と言うといつも『はなかみ先生』のことを思い出します。
天童中学校(第一、第二中学校に分かれる前は天中と呼ばれていました)での芋煮会は舞鶴山が会場でした。学校から舞鶴山まで薪、鍋、材料を持って歩いていくのです。青森から転校して来た私には初めての芋煮会でした。そして舞鶴山で『はなかみ先生』のことを先生や同級生から教えてもらいました。 

懐かしい思い出です。

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『日本国民禁酒同盟』と『健康報国』

 今日、東根市の旧家の門の柱に『健康報国』と『日本国民禁酒同盟員』と書かれた古いホーロー引きの札が張られているのを見つけた。いままで何度も通っているのに気がつかなかった。日本禁酒同盟のメンバーである印なんだろうが初めて目にした。酒好きの私にとっては興味深い札である。

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ネットで検索してみたらこの同盟は今もあるではないか。

明治23年東京禁酒会として発足、同31年日本禁酒同盟会、大正9年㈶日本国民禁酒同盟、そして戦後の昭和24年㈶日本禁酒同盟として現在に至っているようだ。
とするとこのホーロー引きの青い札は大正9年から昭和23年までの間のものだ。


『健康報国』についても調べてみる。
藤野豊『強制された健康ー日本ファシズム下の生命と身体』(吉川弘文館、2000)に次のように書かれている。
昭和13年に誕生した「厚生省」の大臣、木戸幸一が国民の身体は自分だけのものではなく国家のためであり、国家の為に鍛錬し、強化し、それをもって健康報国の信念を保持することが肝要であるという講演を行った。そして病者、障害者は「非国民」視されていくようだと。

 う〜ん、そうすると私は非国民だな。間違いない・・・。
「一般財団法人日本禁酒同盟」http://nippon-kinshu-doumei.fd531.com/ のホームページを参考までにどうぞ
 

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「服務の宣誓」

昨日の山形新聞にこんな記事を見つけた。

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北朝鮮、金正恩の8月25日の談話である。国、国家、国民のためではなくあくまで党と首領(金正恩)だけのために北朝鮮人民軍はあるとのことだ。
 我が日本ではどうだろう。先日の防衛省自衛隊武野浩文一佐の講演で自衛隊の「服務の宣誓」を知った。

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『服務の宣誓』
宣誓
 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳格な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動には関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。

これを自衛隊員一人一人が宣誓するのである。
憲法改正論議はともかくとして私たち国民の負託にこたえるという誓いには感謝せざるを得ない。私たちは今、この国に住む幸せとその感謝を強く感じ、国を守らなければならない。

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月がとっても青いから

今日は中秋の名月。東の山から見事な満月が昇ってきた。明るい夜の空だ。
 昭和34年小学六年の時だった。
日が暮れても家に帰らない子供を探すために当時の担任教師、岩手大学を卒業したばかりの西山哲男先生が私たち同級生の家を回り各親の許しをもらい同級生達を集め夜の山野を駆け回ったことがある。
Photo 黒く細い山道を小学六年の子供たちが、まだ帰らない同級生の名前を呼びながら列を作って歩いて山野の上には丸く大きな月が輝いていた。明るく夜の道を照らしてくれていた。
 今も覚えている。ラジオからはいつも〝月がとっても青いから、遠回りして帰ろ〜♪〟という流行歌が流れていた。ある訳ないと思っていた青い月がその時私たちの頭上にほんとにあったのだ。
 夜の山野を仲間みんなで探そうと各家を回って親を説得して歩いた西山先生。それに応じてくれた親たち。
 あの頃は何か良い時代だったなと思いながら、今も丸く大きな満月を見上げている。でもあの時の青い月ではない。青く見えないのだ。
 そしてあの西山先生は若くして人生を終えていた。

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思い出がまた一つ消えてゆく

数年前から閉館していたシネマ旭として長い間、映画館として親しまれてきた旭座の解体撤去工事が始まっていた。

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高校時代なけなしの小遣いを工面して何度となく通った思い出の映画館だ。映画を観た後にはすぐ近くにある食堂の格安〝学生ラーメン〟をよく食べて帰ったものだ。
この辺りはシネマ通りと呼ばれていた。近くには享楽街もあり賑やかで楽しい、高校生の私には大人の香りがする界隈だった。
古い物が消えて新しい物が現れる。私の思い出は消えるが今の子供達にとっての新しい思い出が造られるのだ。遺されるものと消え去るものの基準は単に私的な思い出の範囲では決められないのはもちろんであるが〝遺すべきもの〟が公的な建物に偏る事なく民間の建物にもあって欲しいものだ。

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偶然にも数年前に旭座をスケッチしていた。このスケッチが思い出を残してくれることになってしまったようだ。

こんなホームページのサイトを見つけた。
『消えた山形〜黄昏の風景』
http://ht9901.web.fc2.com/index.html

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書聖『王羲之』特別展

今日は午後1時から我孫子で打合せである。午前中は時間がある。

もしやと思いネットで「王羲之」を検索。やっぱり今開催中であった。

ホテルをチェックアウトして『日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「書聖 王羲之」』が行われている上野の東京国立博物館に向かった。

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 同時に特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」も開催中だった。これも是非観ておきたいとちょっと迷うが4月7日までやっているようなので今日は王羲之にすることにした。

 文字を一文字づつゆっくりと、またさーっと流して鑑賞する人いろいろで混雑していた。素晴らしい書、文字に感激する。
真筆は全て失われているというが展示されている書は王羲之の書を複写(模本)したり拓本である。しかしその模本の技術が素晴らしいのだ。外見上はまったくわからない。

 書道を学んでいる人が多いのか行書、草書の展示前では書き順や筆の動かし方を空になぞっている人が多く見られた。

 夢中になっていて気づいたらすでに11時半。
第二展示場にはまだ行っていないが約束の時間に遅れてはいけない。残念だが会場を出て上野駅に向かう。


 
12:40頃、我孫子駅到着。レストラン コ・ビアンへ。

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あいかわらず店内はお客さんで一杯である。
先日外壁の塗装をしたとのことなので白い壁がきれいだ。

業者さんを交え小熊先生と増築工事の打合せが始まる。

終了後、おいしいお酒と料理をご馳走になる。
なんか私の出張は飲んでばかりいるように見えるが、それを嘘だともいえないところがつらい。
生ビールの後、「八海山」を遠慮なくいただく。珍しく先生も日本酒を付き合って下さる。二人で八合も飲んだろうか。そろそろ失礼しないと山形へ戻れなくなってします。酔いすぎて、が心配なのだ。今日は仙山線経由なので仙台駅を乗り越してしまう心配だ。
 ごちそうさまでした。たいへんおいしくいただきました。

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夕暮れの我孫子駅から上野に向かう。

ところで王羲之の話をしたらず〜っと以前に菩提寺の住職からいただいたという王羲之の書の拓本をみせてくれた。びっくり。

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どうにか仙台を乗り越しせずに済んだ。
21:29羽前千歳駅着。迎えにきてくれた洋子さんが
「間もなく真央ちゃんの演技がはじまる」と自宅へ急ぐ。丁度演技が始まる直前だった。素晴らしい演技でトップ。
着替えて再び飲むビールはまた格別だ。




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アメ横『大統領』の煮込みはやっぱり最高だ。

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足が勝手に向いたアメ横のガード下。

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この雑多な感じがとても好きなんだな。
もちろん行き先は『大統領』。車中でさんざん飲んだくせにここではまた別腹という感じ。

 「煮込み!お酒!」
混んでいてやっと空けてもらった奥のカウンター席に座りながら注文する。

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 これだこれ。ふと、思い出してお酒のコップに唐辛子を入れる。学生時代にお金がないときバイトが終わると有楽町の屋台で少ない酒で早く酔っぱらうように唐辛子を真っ赤になるまで入れてぐ〜っと飲んでいた頃を思い出したのだ。本当に早く酔ったかどうかは疑問ではあったが。

 隣の会社の仲間数人で飲んでいる連中の大きな声が聞こえてくる。
上司1人に部下5人のようだ。部下の意見に上司が一生懸命答えている。いつの間にか納得したようなしないような部下。他人に聞こえようが聞こえまいがおかまいなしに話が続いていく。

20代のサラリーマン時代、同僚と飲みに出かけては上司の批判や悪口を行っていたことを思い出す。それだけなら良いのだが飲んで勢いが上がり過ぎ夜遅く社長宅へ突撃してぶちまけたこともあった。しかし翌日、社長は何事も無かったようにやさしく俺たちをみつめていてくれた。素晴らしい社長だった。

 コップ酒を2杯でカウンターを立つ。
そろそろホテルへ入って休まなくては。

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神田川を渡りホテルへチェックイン。

もちろん爆睡でした。

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「あなご重」

 岡山から早速、いただこうかと思っていたのだがとんでもない。金曜日の夕方の新幹線は大混雑。結局新神戸までデッキに立ちんぼだった。

 新大阪からはゆっくり座ることができた。早速いただきます!

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うまい!金麦片手にぼろぼろこぼすことに気をつけながらいただく。そして下のご飯が炭水化物であることも気になりながら。

 東京まで金麦2本、お酒2本すべて平らげてしまった。ふ〜、いい気分。高木さん、ご馳走様でした。感謝。

 東京駅21:03到着。坂出よりも気温が高いようだ。ちょっと汗ばむ感じ。
いや、これは飲み過ぎたからかな?等と思いながらも上野のアメ横のガード下へ足が勝手に動いていく。

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食事処「こめや」

 「こめや」さんにて早速打合せに入る。リニュアル工事もほぼ終わりかけている。
いつの間にか坂出を代表する人気店になってしまった。平日でも席を待つ客で入り口は混雑。待ちきれず帰ってしまうお客様も出ている状態。

 本来、ここは米屋である。素麺や饂飩の販売も行っている。今回、注文品の発送作業を行っていたスペースを改装して16席を増やすことにしたのだ。

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 建物は100年以上の商家造りである。とにかくもともとの建物の造りを正直にあまり変にいじることのないようなデザインをしていく方が良い。というより在ったがままに戻すことがポイントである。今まではいじりすぎて折角の古い商家の良さが隠されていたのだから。
 米売り場店舗のステンドグラスが目立つ。これ先代のおじいちゃんの手作りだそうだ。なんとも器用なおじいちゃんだったようだ。

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朝のとろ〜りコーンから何も食べていない。さすがにちょっとお腹が空いている。しかし今日は東京まで戻る予定である。ゆっくり食事をしている暇はない。打合せとチェックを優先。高木さんがこれをつまみながらと唐揚げや海老フライを一皿に盛りつけてテーブルに持ってきてくれた。ありがたい。だからこれはメニューにはない。あ、ジョッキーは飲んだのではなくサイズの確認のために置いたもの。

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新しくなった増席部で打合せ終了。

坂出発16:54マリンライナー48号乗車。
7〜8時間かけて行った坂出滞在約3時間であった。
明日は我孫子のコ・ビアンで午後から打合せがある。
当然帰りは新幹線。仙台空港から飛行機で伊丹、そして新大阪から坂出へがいつものコースなのだが帰りが新幹線となると仙台空港の駐車場へ車をわざわざとりにいかなければならない。それは大変なので行きもオール新幹線になってしまった訳だ。

電車に乗る前にいただいた紙袋には「あなご重」二箱、金麦二缶、300mlの日本酒二本が入っている。東京までは十分なお酒と肴である。岡山で山陽新幹線に乗ったらさっそくいただこう。

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